2008年03月16日
美ら海、南西諸島クルーズ最終日
平成20年3月5日(水)10日目
天候
曇り
日程
午後4時に横浜港に着岸後
全ての乗員を降ろし今回のクルーズは
無事終了となりました。
今日で10日間の長かったようで短かった
今クルーズも最終日を迎えました。
私は今朝もいつものように6時30分に目覚め
目覚めのトマトジュースをのどに流し込んだ後は
強風で8階デッキが閉鎖されていたので
11階の「ジムナジウム」で7時55分までの間
ウォーキングマシンを時速5キロに設定して
朝食までのおよそ90分間汗を流しました。
午前8時に朝食を食べた後は大急ぎで
荷物をパッケージイング(梱包)いたしました。
本来ならば船が横浜に着く午後4時までは
随分と余裕があるはずなのですが
意地悪い?ことに午前10時から11時30分と
午後1時30分から3時30分の間午前と午後の2回
特別にカジノコーナーがオープンするのです。
額に汗しつつ急いで荷物を途中まで詰めたのですが
途中中断して午前の部のカジノルームへ直行
しっかり11時30分まで遊ばせて貰った後には
12時の昼食までの短い時間でしたが
荷物の整理にてんてこ舞いの状態でした。
12時になったので今クルーズ最後の
食事を食べに「メインダイニング」に足を運びました。
今クルーズで私は久し振りに日本の海で
泳ぐことができたので今回は特別に
今まで伏せていた「私の顔写真」を特別公開致します。
エッ、どういう訳かサービススタッフの制服を着ているって?

そうなのです。
彼が今回私たちが毎回お世話になったエリアを担当した
9人の中の一人名前を「イメイ」と言います。
彼曰く、私たち二人はとてもよく似ているから
私のことを毎食時の度に「ブラザー(お兄さん)」と呼んで
慕ってくれ、日々素晴らしいサービスを提供してくれたのです。
私も他の日本人スタッフや同乗した人達に
ことあるごとに「私のフィリピンの異母兄弟です。」
「私の父がフィリピンで知らない間に浮気をして
産ませた子供らしいのです。」と宣伝していました。
(私の父の名誉のために敢えて言わせていただくと
彼の実年齢は「27歳と半分?」なので私の父が
亡くなってからすでに30年以上経過しているので
嘘偽りのない全くの赤の他人です。)
それにしても彼の姿形は私の実の弟以上に
私にうり二つなので私も離れがたく感じていたのです。
そこで昨日神戸に停泊した時に元町商店街の
あるショップで「2体のピエロ」を購入して
彼には「青い人形」をプレゼント致しました。

私も今回のクルーズの記念としてオレンジのピエロを
私が密かに収集しているピエロ達の一員に
加えようと思っています。
昼食後は自室に戻って手当たり次第
無理矢理スーツケースに荷物を詰め込んで
午後1時30分からの最終カジノコーナーに
足を運び最後の1分までブラックジャックに興じていたのです。
午後4時過ぎに船は最終目的地の横浜に入港、
スタッフやクルーに見送られてこれで今回の船旅は
無事終了致しました。

着岸した横浜国際客船ターミナルの地下駐車場から車を出して
(駐車料金は延べ10日間で9.000円でした。)
おみやげで倍以上にふくらんだ荷物を車に積み
一路奥飛騨へと向かった私たちでしたが
岐路の車中では今回のクルーズの土産話に花が咲き
あっという間(午後10時前)に奥飛騨の
懐かしい我が家へと無事到着致しました。
ちなみに外気温は-5℃で車庫の前には
雪がまだ残っていましたよ。

天候
曇り
日程
午後4時に横浜港に着岸後
全ての乗員を降ろし今回のクルーズは
無事終了となりました。
今日で10日間の長かったようで短かった
今クルーズも最終日を迎えました。
私は今朝もいつものように6時30分に目覚め
目覚めのトマトジュースをのどに流し込んだ後は
強風で8階デッキが閉鎖されていたので
11階の「ジムナジウム」で7時55分までの間
ウォーキングマシンを時速5キロに設定して
朝食までのおよそ90分間汗を流しました。
午前8時に朝食を食べた後は大急ぎで
荷物をパッケージイング(梱包)いたしました。
本来ならば船が横浜に着く午後4時までは
随分と余裕があるはずなのですが
意地悪い?ことに午前10時から11時30分と
午後1時30分から3時30分の間午前と午後の2回
特別にカジノコーナーがオープンするのです。
額に汗しつつ急いで荷物を途中まで詰めたのですが
途中中断して午前の部のカジノルームへ直行
しっかり11時30分まで遊ばせて貰った後には
12時の昼食までの短い時間でしたが
荷物の整理にてんてこ舞いの状態でした。
12時になったので今クルーズ最後の
食事を食べに「メインダイニング」に足を運びました。
今クルーズで私は久し振りに日本の海で
泳ぐことができたので今回は特別に
今まで伏せていた「私の顔写真」を特別公開致します。
エッ、どういう訳かサービススタッフの制服を着ているって?

そうなのです。
彼が今回私たちが毎回お世話になったエリアを担当した
9人の中の一人名前を「イメイ」と言います。
彼曰く、私たち二人はとてもよく似ているから
私のことを毎食時の度に「ブラザー(お兄さん)」と呼んで
慕ってくれ、日々素晴らしいサービスを提供してくれたのです。
私も他の日本人スタッフや同乗した人達に
ことあるごとに「私のフィリピンの異母兄弟です。」
「私の父がフィリピンで知らない間に浮気をして
産ませた子供らしいのです。」と宣伝していました。
(私の父の名誉のために敢えて言わせていただくと
彼の実年齢は「27歳と半分?」なので私の父が
亡くなってからすでに30年以上経過しているので
嘘偽りのない全くの赤の他人です。)
それにしても彼の姿形は私の実の弟以上に
私にうり二つなので私も離れがたく感じていたのです。
そこで昨日神戸に停泊した時に元町商店街の
あるショップで「2体のピエロ」を購入して
彼には「青い人形」をプレゼント致しました。

私も今回のクルーズの記念としてオレンジのピエロを
私が密かに収集しているピエロ達の一員に
加えようと思っています。
昼食後は自室に戻って手当たり次第
無理矢理スーツケースに荷物を詰め込んで
午後1時30分からの最終カジノコーナーに
足を運び最後の1分までブラックジャックに興じていたのです。
午後4時過ぎに船は最終目的地の横浜に入港、
スタッフやクルーに見送られてこれで今回の船旅は
無事終了致しました。

着岸した横浜国際客船ターミナルの地下駐車場から車を出して
(駐車料金は延べ10日間で9.000円でした。)
おみやげで倍以上にふくらんだ荷物を車に積み
一路奥飛騨へと向かった私たちでしたが
岐路の車中では今回のクルーズの土産話に花が咲き
あっという間(午後10時前)に奥飛騨の
懐かしい我が家へと無事到着致しました。
ちなみに外気温は-5℃で車庫の前には
雪がまだ残っていましたよ。

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Posted by 奥飛騨吟遊詩人 at 21:35│Comments(0)
│美ら海、南西諸島クルーズ