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2010年06月05日

福島へ元気玉をもらいに出かけてきましたその2。

本日も新穂高温泉は朝から快晴!!!!

毎日がポカポカ天気でさすがの出不精の私も
お弁当を片手にどこかに出かけたくなりそうです。

新緑で色鮮やかな里山をおかずに
のんびりとおにぎりを口にすれば
良いとは思うのですが

私の場合は職業柄、新緑を愛でるより先に
食べられる山菜がないかと山の中を
アチコチと歩き回ってしまうのがオチのようです。

さて、前回のぶろぐの続きです。

翌日(6月2日)は朝食をとった後に
参加者のほとんどが大内塾を見学するというので
私たちもすぐに奥飛騨に戻るのはもったいないからと
皆の後を車で追いかけていざ大内宿へ



この、大内宿は私たちの住む岐阜県にある
合掌作りで有名な「白川郷」と同じく
茅葺きの建物が有名だというのです。



有料駐車場から入口にはいると
どこにでもある風景なのですが

段々足を勧めるたびに
まずは舗装道路が土の道路に変わり
トタン葺きの屋根の家並みがかやぶきの屋根に……。

やがて町並みは江戸時代へとタイムスリップしたかのように
土の道路の両側を水路がながれて数十件の
茅葺きの民家が行儀良く建ち並んでいます。

水路の中にはラムネやジュースが冷やされています。



もちろん景観の邪魔になる電柱や電線は
全て地中に埋設されていて
自動販売機も目立たない所へと隠されています。

さすがに、茅葺きの民家は全て売店と食堂を
営んでいたのですが、地域全体が一つになって
この綺麗な街並みを後生へと保存しようと言う
姿に心打たれました。

街道の入口の所に大内宿を観るまでは
意味不明な「養子縁組」の看板が掲げられていたのが



「はー、行政からこの街道を町内会が維持管理を
請け負って昔の街並みを維持管理しているのだ。」と

高山でも上三之町の古い町並みが有名ですが
こちらはどちらかというと行政主導型なので
これからは地域の力を一つにまとめることも
重要な観光資源になるのだと思い知らされました。

大内宿を見学後は皆に別れを告げて
私たちは奥飛騨へ向かって車中の人へ…………。

帰り道の7時間30分ももちろん運転手は私一人が担当。

帰宅した途端にブログを書くこともなく
運転疲れで、パソコンの前で眠ってしまったのも
ご理解いただけるはずです(苦笑)。

  
Posted by 奥飛騨吟遊詩人 at 21:42亭主のあーだ、こーだ。